神社マップ・境内配置図

大國魂神社おおくにたまじんじゃ

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本殿 一

本 殿

東京都の文化財 昭和37年指定

永承6年(1051)源義家 六所宮の南向きを北向きに改める「源威集」
治承4年(1180)源頼朝 六所大名神に参詣し神馬及び矢を奉納「源平盛衰記」
天正18年(1590)火災(兵火により社殿をことごとく焼失)
慶長11年(1606)六所宮の造営を開始(徳川家康の命)
正保3年(1646)正保の大火災(重要文書等が焼失)
寛文7年(1667)現在の社殿を建立(徳川家綱の命)
慶応3年(1867)大修理(老朽化の為)
昭和43年(1968)修復(昭和40年9月の台風で崩壊した故)

神社建築としては、三殿一棟は特異である。構造は9間社、流造、向拝、5間、銅版葺、三間社流造の社殿三棟を横に連絡した相殿造。

大國魂神社は、はじめは武蔵国造の奉斎に起こると伝えられる。その後、此の地に武蔵国府が置かれるに及んで、府中鎮守社として国衙の斎場にあてられ武蔵国総社でもあった。また、新たに一之宮から六之宮と国内諸神が勧請されたので、六所明神とも称される。鎮座地が鎌倉街道と甲州街道の交わる所にあったため、広く信仰を集めた。特に中世には武士の崇敬を承け「吾妻鏡」寿永元年(1182)・建久3年(1192)・貞永元年(1232)等に記載される。

拝殿 二

拝 殿

流 造:切妻千鳥破風

銅板葺素木造:165㎡(50坪)

明治18年改築され、昭和53年改修された。現在の拝殿は明治18年官幣小社に昇格の年に完成。

通常本殿の前面にあり、本殿より規模の大きな建物が多く、一般の参拝者には拝殿が最も目につく。本殿が神座そのものであるのに対し、拝殿は人が神に対して祭祀や祈願などさまざまな 行いをする場所といえる。

松尾神社 三

松尾神社

祭 神:大山咋命(おおやまくいのみこと)

例 祭:9月13日

寛政12年(1800)武蔵国の醸造家の懇請により勧請された。 醸造の守護神と共に開拓の粗神として御神徳高き神で、酒、醤油、味噌、麹等の業者及び開拓関係者の信仰厚く霊験顕著で有名である。

巽神社 四

巽神社

祭 神:市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)俗に弁財天

例 祭:4月1日

元は市川にあった市神社で、市場にはその守護神即ち市神社(俗に弁財天)祀った社があった。 その社を当神社の御本殿から辰巳南東の方向に遷座されたので巽神社という社号がついた。

東照宮 五

東照宮

祭 神:徳川家康公

例 祭:6月1日

元和4年(1618)二代将軍秀忠の命によって造営された。 徳川家康公歿後、駿河国久能山から下野国二荒山に霊輿を遷された時その途次、この国府の斎場に一夜逗留せられたのでその遺跡を後世に伝える為造営された。

授与所・待合所 六

授与所・待合所

御札御守り等を頒布する授与所

御祈祷の受付所

拝殿に連絡する待合所

平成23年斎行の御鎮座1900年祭記念事業の一環として建設され、平成18年竣工。

住吉神社・大鷲神社 七

住吉神社・大鷲神社

住吉神社
表筒男命(うはづつおのみこと)
中筒男命(なかづつおのみこと)
底筒男命(そこづつおのみこと)

大鷲神社大鷲大神(おおとりのおおかみ)

例祭:10月1日(住吉神社) 11月酉の日(大鷲神社)

住吉神社
御本社は大阪住吉にあり、その分霊を祀ている。海上守護の神、除災招福の神として崇敬せられている。

大鷲神社
御本社は大阪堺の大鳥神社でその御分霊を祀ている。元は日本武尊が守護する神として信仰されたが、現在では【おとりさま】と称され開運の神・商売繁盛の神として信仰が厚い。 毎年11月の酉の日には熊手市が立ち、多くの参拝者で大変にぎわう。

神楽殿 八

神楽殿

常設の神楽殿は平安末期には見られ、鎌倉時代より普及し建築物の一部を利用したもの、独立専用の建造物の他に拝殿を兼ねる場合もある。独立した建築様式としての特徴は舞楽の影 響の強い正方形に近い壁のない高舞台に匂欄の付いたものや能舞台に近いものなどがある。当神楽殿は昭和6年4月、内務省により昭和天皇の御大典記念事業として建設されたが、壁の剥離や銅屋根の雨漏りが酷いため平成7年4月御本殿屋根修理と同時に改修工事を行う。

大國魂神社太々講
大國魂神社太々講の歴史は古く元文2年9月28日地元の氏子有志によって作られ、以来例年秋季祭当日太々神楽が奉納されていた。太々神楽は本来、伊勢講員により伊勢神宮に奉納された神楽を指したもので、講と云うのは、仏教伝来と共に我国に渡来し、学僧が仏経を講論説論する事を云い、経典を説読する人とこれを聴く人との会合であり講会講合とも呼ばれた。仏教が貴族より庶民のものとなり聚落社会に講が普及する。神社の中でも伊勢講を中心に信仰を集めた先達や御師等によって普及されて行ったものである。

仏教を講読することから出発し、次に講教のための集会(講話・法会)次に講合に関係する人々の団体を指し、次に仏教に限らず広く同一の信仰に結ばれた人々の組織に名に転し、更に宗教的機能の無くなった単なる同志的結社(頼母子講・無尽講等)等をも云うようになった。関東の神社では古峯講・榛名・三峯・大山・二荒山・笠間等の講が知られている。講は講員中より代参者を決め、大神楽を奉納したので代神楽とも呼ばれ、仏教の永代供養と重なり永代或いは代々神楽とも呼ばれた。

宝物殿 九

宝物殿

氏子崇敬者の協賛により昭和49年11月に落成された。 校倉様式で内部は火災、盗難、防湿等最新の施設が設備され、一階には八基の神輿と大太鼓が格納され、二階には重要文化財の狛犬を始め御神宝等数々の宝物を展示している。

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中雀門 十

中雀門

延べ 80m

梁  2m

軒高 2.5m

明治維新百年記念事業として昭和44年7月現在の物に建て替える。

手水舎 十一

手水舎

手水舎はふつう社殿のある神聖区域と一線を画する清浄区域内にあり、神門や玉垣のすぐ外にある場合が多く見られます。

手水舎は、いわば参道の終わりを意味するものであり、ここから先はいよいよ神様が座すもっとも神聖な土地であることを参拝者に確認させるための施設といえます。

清水で手と口を清め、それから神様に参拝いたします。

神社に参拝する前に手を洗い、口を漱ぐことは古くからの儀式ともいうべきもので、それはイザナギノミコトのミソギに始まるといえます。

廻廊 十二

廻 廊

明治維新百年を記念して昭和44年に新築された。

社務所 十三

社務所

鉄骨銅板葦

608㎡(184坪)

神社の祭務を行う。出張祭典、御朱印は社務所にて申し受けます。

結婚式場 十四

結婚式場

大國魂神社の結婚式
景行天皇41年(約1900年前)5月5日創立。縁結びの神様として広く知られる大國魂神社。歴史ある緑の杜の神社で挙げる神前結婚式。

時代を超えて「愛されるなにか」は伝統という形で受け継がれていきます。古の神々に見守られながら、おごそかな雅楽の響きにこころ澄ます、一生に一度の晴れの日を、大國魂神社結婚式場がお手伝いいたします。

かがり火挙式
夕暮れと共に始まる、かがり火の演出での挙式は、神秘的な空気さえ漂います。和婚ならではの、幻想的で美しい結婚式です。

【大國魂神社の結婚式】詳細はこちら

鼓楼 十五

鼓 楼

その昔は、時刻や緊急事態を知らせるための太鼓を置いた建物である。寺の鐘楼に対して、神社では太鼓を置くから「鼓楼」と呼ばれる。 慶長年間の造営の際に、三重の塔と相対して建設された。

しかし正保3年(1646)の火災で焼失、約200年余後嘉永7年(1854)再建される。

慶長年間の造営 徳川家康が江戸開幕を祝って六所宮の本殿を造営、それに伴うものとして鼓楼と三重の塔を建立した。

随神門 十六

隨神門

平成二十三年に大國魂神社御鎮座壱千九百年事業として改築されました。

門は高さ8.5m幅25m、門扉は高さ4.5m幅4.7m。扉一枚は畳5畳分程。国産の檜で製作され、屋根は銅板葺き、木造の門としても希に見る大きさです。正面には随神像、後面には恵比寿大國が納められています。
納められている随神像は大國魂神社氏子青年崇敬会が独自に浄財を集め、東京工芸大学で製作されました。俗に右大臣左大臣と呼ばれる「豊磐間戸命」「櫛磐間戸命」という門の神様です。
  享保二十年(1736)に是政出身の代官川崎定孝により奉納された「随神像」に倣い製作されました。製作には古くから伝わる顔料、材料を使用し、江戸時代に作られたであろう行程で製作された近年では類を見ない「随神像」です。

門の設計にあたっては、くらやみ祭での神輿や大太鼓の出入りをスムーズにする為に、先ず間口と高さ決めてから全体の設計にあたりました。

忠魂碑 十七

忠魂碑

大東亜戦争における郷土出征戦没兵士の忠魂を偲んで建立。 毎年9月24日に府中市郷友会主催により慰霊祭を行っている。

日露戦役記念碑 十八

日露戦役記念碑

日露戦役記念碑(明治40年3月)石碑表には、元師・伯爵野津道貫の書により「日露戦役記念」裏面には米庵流の書家本田退庵の書による出征軍人の名が刻まれている。他に北多摩郡従軍彰功碑が建つ。

相撲場 十九

相撲場

毎年8月1日に、八朔相撲祭が行われる。

天正18年(1590)8月1日 徳川家康の江戸入城を賀し、この日を記念して天下泰平・五穀豊穣を祈る奉納相撲として始まったものであり、領民の体育奨励の目的を以て幕府より水引幕を献納せられた由緒ある祭である。

旧四ヶ町(馬場・新宿・本町・八幡町)により伝統行事として毎年行われており、現在では大國魂神社四ヶ町八朔相撲会主催により、小学生から大人までの幅広い参加者により御神事が絶える事なく受け継がれている。

みやのめ神社 二十

宮乃咩神社

祭 神:天鈿女命(あめのうづめのみこと)

例 祭:7月12日

宮乃咩神社例祭にて「青袖舞」を奏し終了ののち本社へ参向し「杉の舞」を奏す。 当社は演芸の神、安産の神様として崇敬されている。 創立は本社と同時代といわれている。

源頼朝の妻、北条政子の安産を祈願した神社で、7月12日には安産特別祈願祭を行っている。

参道 二十一

参 道

大鳥居 二十二

大鳥居

高さ 10t

重さ 95t

奉納者:小勝 利夫氏(府中市在住)

奉納年:昭和26年

御影石製では日本一と言われている。

稲荷神社 二十三

稲荷神社

旧町内神戸(ゴウド)の方々に崇敬されている神社。 神戸稲荷神社とも称される。

馬場大門欅並木 二十四

馬場大門欅並木

大正13年12月 国名勝天然記念物指定

頼義・義家の父子が奥州征伐(前9年の役1051〜62)の途中当社に戦勝を祈願し、凱旋時に欅の苗木1000本を奉樹したのが府中の欅並木の発端である。並木の欅で当時の欅は全く残っていない。現在源義家の銅像が建っている処に古木が有ったが 殆ど枯れていたために、昭和56年(1981)12月4日伐採した。伐採立会人は東京農工大学の中村克哉教授・文化財専門委員・府中市教育委員会社会教育課等十数名。尚、欅は 地上30cmの根元から切りとり輪切り標本として府中市の郷土森博物館に保存されている。現在、欅並木最古の欅は樹齢約600年(拝殿より欅並木に向かい旧甲州街道手前右側)徳川家康が江戸入城(天正18年1590)した後江戸の開幕を行ったが、それを祝して慶長年間(1596〜1614)に欅並木に補植し、また関ヶ原・大阪両陣の奉賽のため両側に馬場を寄進した。 欅:境内175本 並木72本 樫境内50本 榎木:境内25本 そろの木:並木60本 幹周:全て1m以上 並木の長さ:約700m(隨神門より北へ向かっての長さ)

■馬場 5月3日の競馬式の際、馬場として使用される。

■源義家公銅像(八幡太郎義家)高さ2.2m。23歳の青年武将が前9年の役での戦勝の喜びに溢れ神恩に報賽の為参道を歩く凛々しい姿が彫まれている。作者は富山県高岡市の勅許御鋳物師藤原朝臣喜多30代当主の三男喜多敏勝氏。東大寺膚舎那物の伝統を受け継ぐ高岡鋳物の鋳像である。 東京府中ロータリークラブ設立30周年記念事業として、平成4年3月19日欅並木旧青木屋本店前大欅株跡に建立奉納される。

御旅所 二十五

御旅所

245㎡(74坪)あり本社の西側約250米、宮西町五丁目一番地。 鎌倉街道と旧甲州街道との交叉点にあたる。

5月5日の夜、八基の神輿渡御があって献饌、奉幣等神秘の儀式を行う。

有料駐車場 二十六

有料駐車場

200台収容可能。24時間営業。

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