この祭は源頼朝が文治2年に武蔵国中の神職に命令して、天下泰平の祈願を行うべき旨の指示があり、国中の神職が毎年参会して、12日の夜より13日の朝まで終夜舞楽を奏した。
先ず宮乃咩神社に於いて、舞人が青袖の舞衣を着用して神楽舞を舞い、その後御拝殿にて笛太鼓に合わせて舞うので青袖祭と言い、13日の朝に至り、拝殿に於いて杉の小枝を手草として舞うので杉舞祭という。しかし現在は祭典及び神前舞のみで、国中の神職は参加しない。神職が参加した証拠として、正保・慶安・承応の頃の着到簿が残っているが、残念ながら文治から正保以前までの物は天正・正保の火災により焼失している。
また、7月12日は宮乃咩神社例祭日で、午前9時より例祭が斎行されるとともに安産の御神徳で有名なことより、宮乃咩神社でこの日に限り安産祈祷を行っている。