大國魂神社

〜武蔵国の守り神〜 御鎮座壱千九百年

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神楽殿

境内のご案内

神楽殿

神楽殿(かぐらでん)

神楽殿

常設の神楽殿は平安末期には見られ、鎌倉時代より普及し建築物の一部を利用したもの、独立専用の建造物の他に拝殿を兼ねる場合もある。独立した建築様式としての特徴は舞楽の影響の強い正方形に近い壁のない高舞台に匂欄の付いたものや能舞台に近いものなどがある。当神楽殿は昭和6年4月、内務省により昭和天皇の御大典記念事業として建設されたが、壁の剥離や銅屋根の雨漏りが酷いため平成7年4月御本殿屋根修理と同時に改修工事を行う。

大國魂神社太々講
大國魂神社太々講の歴史は古く元文2年9月28日地元の氏子有志によって作られ、以来例年秋季祭当日太々神楽が奉納されていた。太々神楽は本来、伊勢講員により伊勢神宮に奉納された神楽を指したもので、講と云うのは、仏教伝来と共に我国に渡来し、学僧が仏経を講論説論する事を云い、経典を説読する人とこれを聴く人との会合であり講会講合とも呼ばれた。仏教が貴族より庶民のものとなり聚落社会に講が普及する。神社の中でも伊勢講を中心に信仰を集めた先達や御師等によって普及されて行ったものである。

仏教を講読することから出発し、次に講教のための集会(講話・法会)次に講合に関係する人々の団体を指し、次に仏教に限らず広く同一の信仰に結ばれた人々の組織に名に転し、更に宗教的機能の無くなった単なる同志的結社(頼母子講・無尽講等)等をも云うようになった。関東の神社では古峯講・榛名・三峯・大山・二荒山・笠間等の講が知られている。講は講員中より代参者を決め、大神楽を奉納したので代神楽とも呼ばれ、仏教の永代供養と重なり永代或いは代々神楽とも呼ばれた。

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